私の母方の実家は大阪でした。祖父が関西で蒸気機関車の運転士をしていて、私が物心ついた時には引退して住吉大社ちかくで小さな衣類店を祖母と営んでいました。母の母、つまり実の祖母はその時にはすでに他界しており、その大阪の"おばあちゃん"は祖父の後妻で、俳優の二谷英明氏(二谷友里恵の父)のおかあさんといとこだったとか聞いています。
私は三重県の田舎に住んでいたせいもあって、その大阪の"おじいちゃんとおばあちゃん"のところに行くのがとても楽しみでした。三重から大阪に行くのは、いつも近鉄電車に乗って行きます。祖父の血かどうかわかりませんが、私は鉄道が大好きな子供だったので、大阪に行くというよりも近鉄電車に乗れるのが一番楽しみだったのかも知れません。
たいていは急行で行くのですが、その途中で見る近鉄特急はあこがれでした。特に
初代ビスタカーと呼ばれる10000系車輌は、独特のライオン顔の先頭車両と世界初の二階建て、そして連接を含む7両編成と堂々たる車輌で、その車輌を駅などで見かけるとわくわくしたものです。一度乗った記憶もあるのですが、悔しいことにその記憶はもう薄れつつあります。
そんな画期的で強烈なイメージの車輌ではありましたが、特異な編成であったために、私が生まれた年に登場し大阪万博の翌年に引退と、わずか13年の短命で使命を終えました。

そういう思い出の車輌が、引退から35年の月日を経て初めてNゲージで模型化されました。しかも登場時のものと、事故での改造後の2種類。10000系ビスタカーは、試作要素があったために1編成しか製造されませんでしたが、登場当時のカラーと、その後の標準的近鉄特急カラーのふたつの印象があります。特に事故で片側の先頭車が壊れて修復後にデザインが大きく変わったということもあり、模型として後年に残すならば、登場時と晩年時の両方を残しておくべきというのは妥当なところです。
昨年から発売予告があって楽しみに待っていたのですが、ようやく今日買ってきました。残念ながらすでに登場時のセットはありませんでしたので、改造後のみを買ってきました。登場時のものも見つけたら絶対に手にいれておきたいものです。実際にはありえない新旧10000系がすれ違うという情景を再現できるのも、模型ならではの楽しみです。
ああ、また鉄道模型をやりたくなってきましたよ。昭和40年代の近鉄を想定したレイアウトを作りたいです。悔いが残らぬよう人生を過ごしたいと思う中でのひとつの目標でもあります。昭和40年頃の近鉄電車が走る情景を部屋の中に再現し、それ眺めながらよきあの頃を思い出しながらニヤニヤしたいですね。
・・・・・・・★

昨日買ったアルプスのMD-5000。給紙が一発で決まらないというところが気になりますが、印刷は問題ないのでまずはめでたしめでたし。給紙の問題は、これまで使っていたものも同じ傾向でしたので、仕方が無いところなのかもしれません。友人に頼まれていた、古いデカールの再生はなんとかうまくできそうです。デカールのコピー原稿作成は、今までIllustratorを使って作っていましたが、Photoshopでやった方がずっと効率的(私がPhotoshopを使いこなしているだけ?)なことがわかりました。まだ色の再現が気になるところもありますが、いろいろとやってデカール製作技術も自分なりの方法を高めておきたいと思っています。
にほんブログ村には同じ趣味を楽しむブログがたくさんあります。興味ある方は、下のバナーをクリック!